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第86回平和祈念資料館問題(19)   日本軍の強制を明記/「集団自決」の表現改める

  • 執筆者の写真: 世界版「平和の礎」事務局
    世界版「平和の礎」事務局
  • 2025年10月15日
  • 読了時間: 5分

- 以下、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P180~181

 沖縄県政をゆるがした新資料館展示改ざん事件は、全国各地の戦争資料館(平和博物館)の展示内容を政権側が「反日」であってはならないと批判・攻撃している一環であったことを第84回と第85回で明らかにしてきた。

 沖縄サミットを前にして、資料館問題の終息を急ぐ稲嶺県政の下で、任期切れ間近だった私たち監修委員は2000年3月末開館(実際は4月に開館)予定の展示監修作業を継続することになった。

 そして展示監修作業の会議で、最も多くの時間を費やしたのは、旧資料館の設立理念の扱いだったことに触れ、私が問題とした文面を紹介した。「ある者は追いつめられて自ら命を断ち」という部分だった。

 第38回から第51回まで、家永教科書検定訴訟の沖縄戦に関する部分にさいてきた。私はその控訴審で原告家永氏側の証人だった。

 


■「命を断ち」から

 沖縄戦で「無念の死」をとげた人たちの代弁者として、東京高裁の法廷で証言してきた。それをふまえても、「自ら命を断ち」というのはとうてい受け入れられない、後に引けない文面だった。1978年にリニューアルオープンした沖縄県立平和祈念資料館では、その入り口に設立理念が展示された。

 当時、私は展示計画委員だったので、自己否定、自己批判するような事柄でもあった。

 第三次家永教科書裁判の沖縄出張法廷(1988年2月)以後、沖縄戦体験研究が深化していることを反映させる役割を私は担っているという強い使命感をもっていた。

 したがって、「自ら命を断ち」という文面にこだわり続ける委員は、恩義のある先輩「研究仲間」とはいえ、私にはまるで控訴審法廷のなかの国側代理人と次第にダブってみえてきた。沖縄住民は天皇のため、国のために「自ら命を断った」ひとが多いので、「集団自決」(殉国死)を書き加えるようにというのが国側の主張だったので、裁判の争点はとどのつまり、沖縄戦で住民が「自ら命を断った」のか、日本軍の強制、誘導などにより「命を断たされた」、つまり間接殺害だったかの争いだった。

 国のいう「集団自決」というのは、第41回で触れてある通り、慶良間で、住民が集団死した実情を、「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者も生じた」(『沖縄方面陸軍作戦』防衛庁防衛研修所戦史部編252項)と記している。つまり、住民が日本軍の戦闘に協力して「自らの命を絶つ者」というのが、国の「集団自決」の定義だといえる。


■「命を断たされ」

 法廷での証人尋問はわずか2時間しか与えられていなかった。しかし、展示監修作業の会議では、特に時間の制限はなかったので、平行線のまま6時間ほどたった。

 ある委員が、“石原さん「自ら命を断たされ」という表現なら了解できるのではないか゛と提案した。それは、納得のいく案だった。さすがに、その表現に異論をはさむ委員はいなかった。沖縄県の資料館として、沖縄戦体験研究の到達点を共有することになった瞬間でもあった。


■「強制集団死」

 新資料館の設立理念は、「自ら命を断ち」から「自ら命を断たされ」に一部修正された。それに対応して、これまでの住民の「集団自決」の表現は、「強制による集団死」に書き改められた。その展示説明は以下の通りである。

 「日本軍の強制による集団死 日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に、『軍民共生共死(きょうせいきょうし)』の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には『天皇のために死ぬ』という国を挙げての軍国主義教育があった」。

 以後、強制集団死という用語が、新聞でも使用されるようになっている。この説明文で「殺しあう」という表現は、赤子が親を殺すということはあり得ないので不適切であり、十分吟味する時間を取れなかったことが刻印されている。


■援護法の呪縛

 沖縄県の平和祈念資料館の特徴である住民の「証言」をメインにすえることになった経緯については、第23回で詳細に記した。

 新資料館の展示説明の住民の体験証言で「集団自決」という用語を使用しているのは、体験者本人が「集団自決」と使用している場合、それを勝手に「強制集団死」へ変換させることはできないからである。

 なぜなら、「強制による集団死」した遺族が、援護法の申請にあたり、「戦闘不参加者についての申立書」で、戦闘参加者概況表の「集団自決」の項目で認定されているからだ。「集団自決」以外の用語を用いたら、認定資格をうしない、遺族給与金が支給されないという仕組みになっている。沖縄戦の遺族は、日本政府によって「集団自決」という用語が、死活的に重要な言葉にされているのである。

 私が「集団自決」(殉国死)に替わる言葉を唱えるという沖縄社会のタブー破りを始めた時、新聞の論壇で「石原教授への質問状」などと、数名の遺族から「以前は集団自決という言葉を使用していた」と追及されてきた。私は遺族の心情を思えば、決して遺族と議論しようとは思わなかった。第116回目で「援護法の呪縛を解く必要」とコメントしているが、遺族給与金の受給者が激減している今、援護法で捏造された沖縄戦体験の真実を取り戻すべき時がきた、と判断したからである。


- 以上、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P180~P181



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