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第86回平和祈念資料館問題(17)   加害展示 政権から批判/内容「偏向」と決めつけ

  • 執筆者の写真: 世界版「平和の礎」事務局
    世界版「平和の礎」事務局
  • 2025年10月25日
  • 読了時間: 5分

- 以下、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P176~177

 沖縄の資料館展示改ざん事件は、全国紙でも報じられていたので、「ピースおおさか」市民ネットワークが1998年7月に発行した冊子を入手できた。1996年6月、橋本首相が政府・与党会議で全国各地の平和博物館(戦争資料館)の展示写真の真偽を調査するよう指示したので、参議院自民党が「全国の戦争博物館に関する調査報告書」を調査公表した内容が紹介されていた。沖縄県立平和祈念資料館(旧資料館)も調査対象となっており、なんと偏ったイデオロギーの記述になっていると批判していた。まさに、新資料館の展示改ざん事件は、日本政府の意向に沿った改ざんだったことが判明した。

(中略)


■首相が調査を指示

 それによると、「1996年6月24日、橋本首相が政府・与党首脳会議で、関係官庁で全国各地の平和博物館(引用者注:戦争資料館のこと)について、展示写真の審議を調査するように指示したという」(12項)。それを受けて同年10月18日、参議院自民党は「全国の戦争博物館に関する調査報告書」を作成し、公表したということで、その内容を紹介している。

 あぜんとしたのは、沖縄県立平和祈念資料館(旧資料館)も、調査対象になっていたことを知るに及んだときだった。同館は1975年に開館し、78年にリニューアルオープンしていた。(「第20回」と「第23回」参照)

 なんと、「2. 問題点の詳細(1) 偏ったイデオロギーに基づく展示内容になっている」と、沖縄県立平和祈念資料館は、ヤマトの政権側から指弾されていたのだ。

 そして「展示パネル『沖縄語を使う者はスパイとみなす…』『スパイ取り締まりの名目で沖縄住民の言動を厳しく監視した』と記述。(1)日本軍と県民の対立を殊更に描き出している」「日本軍の進駐が無ければ米軍の来襲はなかったと受け取れる歴史認識により、対米戦よりも日本軍による『根こそぎ動員』『壕追い出し』『食糧強奪』『集団自決の強要』『住民虐殺』に重点が置かれている」などと、その記述が偏ったイデオロギーに基づくものとして、批判しているのだ。

 連載執筆のため22年ぶりにその報告を読むや、第82回目で紹介した「稲嶺知事は、前任の大田知事の色彩をすべてそぎ落とすように、おそらく、ヤマトの政権から厳命を受けていたのではありませんか」という毎日新聞元記者で八木晃介花園大学名誉教授の指摘が的中していることが判明した。


■皇軍のなれの果て

 調査報告内容を改めて確認するや、すぐに浮かんできたのは「皇軍のなれの果て」という、元大本営参謀の鮮烈な印象を与えている言葉だった。

 帝国日本軍の大本営船舶参謀だった馬淵新治氏が防衛研修所戦史室の依頼によって、調査執筆した『沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料』の中で沖縄の皇軍(日本軍)に対して用いた怒りがこもったような表現である。

 表紙に「陸上自衛隊幹部学校 昭和35年5月」とあるのは、自衛隊が沖縄住民の沖縄戦体験について学習したということであろう。資料の出処については馬淵氏が日本政府厚生省の引揚援護局の厚生事務官として「終戦後援護業務のため、沖縄滞在」の期間中に調査したものと記されている。馬淵氏は琉球政府援護課職員や遺族会から住民の沖縄戦体験を詳細な聴き取りによって執筆したようだ。

 自身も会議に参加した大本営参謀時の沖縄作戦についても触れながら「軍の行き過ぎ行為が住民を刺戟することは国内戦においては避け得られないものである。戦況我に有利な場合はまだしも、戦況一度不利になつて軍の統制が徹底しなくなると益々この種遺憾な行き過ぎ行為が各地で行われた」と記した。

 さらに「例えば心ない将兵の一部が勝手に住民の壕に立ち入り、必要もないのに軍の作戦遂行上の至上命令である、立退かないものは非国民、通敵者(引用者注:スパイの意味)として厳罰に処する等の言辞を敢えてして、住民を威嚇強制のうえ壕からの立ち退きを命じて己の身の安全を図ったもの、ただでさえ貧弱極まりない住民の個人の非常用糧食を徴発として掠奪するもの、住民の壕に一身の保身から無断進入した兵士の一団が無心に泣き叫ぶ赤子に対して此のまま放置すれば米軍に発見されるとその母親を強制して殺害させたもの、罪のない住民をあらぬ誤解、又は誤った威信保持などのため『スパイ』視して射殺する等の蛮行を敢えてし、これが精鋭無比の皇軍のなれの果てかと思われる程の事例を残している」[18~19項]

 馬淵氏は、1957年11月、軍人軍属等を対象とした戦傷病者戦没者遺族等援護法を、非戦闘員の一般住民にも適用を拡大するため、米軍統治下の沖縄で戦争体験の聞き取りを実施していたのである。

■読者の証言

 壕内で日本兵が住民に銃を突きつける姿が問題になっていたことを書いてある私の連載を読んだということで、85歳(2021年)の女性が電話をかけてきた。第83回目の当日だった。日本兵と住民がひしめき合った壕内で9歳の少女の弟(生後6ヵ月)がおなかをすかせて泣きやまなかった。日本兵が15歳の地元少年に鉄砲を持たせて赤子を撃てと命じた。ガタガタ震え、引き金を引けない少年を前にした母親は、黒砂糖水も飲み込めず泣き叫ぶ赤子をギューと抱きしめたようだ。少女は力の抜けた赤子の足が触れたので、息絶えたと察知した。祖母が「戦がやったことだよ」とつぶやいた。76年後の今(2021年)も伊江島でのあの場面が夜中よみがえってくる、と声を震わせていた。まさに「馬淵レポート」その後の証言だ。


- 以上、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P176~P177



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