top of page

平和の礎(8)首相前に侵略、戦争批判/朝鮮半島南北代表「村山談話」に影響か

  • 執筆者の写真: 世界版「平和の礎」事務局
    世界版「平和の礎」事務局
  • 2025年8月2日
  • 読了時間: 5分



- 以下、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P140~P141


 1995年6月23日、戦争終結50年以年の最大の事業として、全戦没者刻銘碑「平和の礎」が除幕した。県内外から5000人の参列者を迎えた。県内の遺族はもとより、遠く米国の退役軍人や遺族も、碑の前で戦友や肉親を偲んだ。また、日本の三権の長が参列したのも沖縄戦が歴史上未曾有の被害をもたらしたからであろう。なかでも、朝鮮半島の南北の代表が、日本の三権の長を前にして、頑として謝罪しない日本の侵略の歴史を告発する機会が生まれたのは、平和の礎のもつ見えない力がもたらしたといえよう。それからまもない8月15日の「終戦記念日」に、村山首相が謝罪とお詫びの「村山談話」を発表した。

(途中略…)


■「三権の長」の参列

 県内の沖縄の知事をはじめとする各市町村長、遺家族関係者5千人の参列の中に日本の三権の長、村山富市首相、土井たか子衆議院議長、原文兵衛参議院議長、草場良八最高裁判所長官が、平和祈念公園に勢ぞろいするというのは県政史上前代未聞のできごとだった。

 さらにモンデール駐日米国大使や米本国からも沖縄戦に参戦した元兵士や遺家族も多数参列することになった。また、台湾、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の代表も刻銘国関係者として参列していた。

 しかも、朝鮮半島の北と南の代表が日本の三権の長を前にしてあいさつすることになった。思いもよらないあいさつの翻訳文が解説者の私の手元にまわってきた。当時の件の関係者によれば、日本政府は事前にそのあいさつ文を入手したがっていた、と聞いたのは2020年1月ごろのことであった。その翻訳文を目にしたとき、どれほどアジアで侵略された国々が日本に謝罪を求めても頑として応じない日本の首相、しかも三権の長の目前で、それぞれの国の強い意志をこめたあいさつができる機会が生まれたと思い、「平和の礎」の目に見えない力に、胸の高鳴りを覚えた。政府が知りたがっていたそのあいさつのほぼ全文は、以下の通りである。


■刻銘拒否も

 在日大韓民国民団(民団)沖縄県地方本部のジョン・テギョン団長(当時)のあいさつ文は以下。

 <本日「平和の礎」除幕式典に当たり、去る第二次世界大戦のさなか、ここ沖縄の地で犠牲になられた韓国人犠牲者のみ霊に深甚なる哀悼の誠をささげます。

 かえりみれば、我が祖国が国権を簒奪された悲痛の時代に、国家と民族そして個々人の意思とは関係なしに、この南冥の地に強制的に連れてこられ、あらゆる差別、虐待、苦難を強いられたあげく、祖国の光復(解放独立)も見ずに無念にも命をなくした無数のみ霊よ!さそかし残念無念だったでしょう。

 30余万人に上るわが同胞が帝国主義日本によって強制連行され、戦後50年が経過した今日に至るまで10余万人がどこで、どのように犠牲になったかについて連行していった日本当局から何ら説明がありません。当地沖縄で、不義の戦争の犠牲になった同胞の本名を探し出せた方々は数十人にすぎませんでした。その方々の名前がここに刻銘されています。ここで忘れてならないことは犠牲の遺家族の中で子々孫々永代の恥辱であるとの理由で刻銘を拒んだ方々がおられたということです。

 第二次世界大戦中、沖縄で犠牲になった韓国人の正確な数が戦後50年が経過した今日に至るまで明らかになっていないということは強制連行を実施した日本政府当局の無誠意、責任感の欠如を全世界にさらけだしたものです。本日の平和の礎の除幕によって、そのような責任がはたされたと思っては決してなりません。今日この瞬間からその解明作業が促進されなければなりません(後略)。

 姓名も犠牲になられた場所も判明しないみ霊たちよ!どうか不義の侵略と戦争をたくらむ者たちを目覚めさせ、世界平和と和睦の道へお導きください。犠牲者の皆さまとわわれ生き残った同胞たちが歌うことすら禁じられたティンサグの花~「風仙花」の調べをみ霊にささげます。どうか長年の恨み、つらみを忘却のかなたに押しやり、とこしへにみ霊の安らかんことを祈念します>


■清算し平和の道を

 在日本朝鮮人総聯合会沖縄県本部のキム・スソプ委員長(当時)のあいさつ文は以下。

 <朝鮮の解放50周年にあたる意義ある年に、ここ沖縄にて「平和の礎」除幕式が厳かにとり行われることに際し、私は朝鮮人民の名において全犠牲者のごめい福を祈り平和の誓いを新たにするものです。

 日本の朝鮮に対する植民地支配と無謀な戦争により沖縄に強制連行された朝鮮人同胞は「従軍慰安婦」を含め数千人がその尊い生命を失いました。しかし犠牲者のうち氏名が刻まれたのは、わずか133人にすぎず、ほとんどの人々が半世紀を経た今日もなお、人知れず遠く異郷の土として埋もれているのです。

 私はこれらの惨劇に思いをはせる時、数多くの無辜の民に犠牲を強いた蛮行への憤りを新たにし、民族の念願である南北朝鮮統一、日本との国交正常化、アジアと世界の平和の実現への決意をさらに固くするものです。

 私たちは、ここ沖縄での「平和の礎」が日本の過去の真の清算に結びつき、朝鮮と日本の善隣関係を築き、世界の恒久平和の道へと強く、太くつながっていくものと確信してやみません>

 村山首相を面前に委譲のあいさつをして間もない8月15日、謝罪とお詫びの「村山談話」が発表された。それは二人のあいさつ文を受けた内容になっていた。


 

- 以上、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P140~P141


次回、「平和の礎(9)慰霊・追悼、記録の場に/戦争悲惨さ伝え、平和希求 」に続く。





コメント


bottom of page