平和の礎(5)外国人刻銘へ交渉/名簿抽出に時間要す
- 世界版「平和の礎」事務局

- 2025年7月23日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年7月26日
- 以下、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P134~P135
■検討委発足と調査
1993年4月26日、第1回「刻銘検討委員会」(石原昌家大学教授、大城将保博物館課長、上地弘生福祉部副参事、中里正義援護課副参事、松本淳平和推進課長)が開催された。予定調和的に私が座長ということになった。私のメモには「座長受。戦死者全数調査決定」と記されているので、これまでの県庁の職員との打ち合わせ通りに、気の遠くなる県全域の全戸調査の実施をこの日決定したのである。
しかも、1995年6月23日「慰霊の日」の全戦没者追悼式とあわせた戦後50年記念事業として、全戦没者刻銘碑「平和の礎」の除幕は大田知事の重要施策とされていた。しかし、県の職員が「3、4年以上はかかるだろう」といわれたという調査機関は1993年11月26日から94年3月18日までのわずか4カ月弱の予定だった。除幕当時の沖縄出身刻銘者は14万7110人だったので、その人数を調べるには県内全域で想像を絶する時間と労力を要している。
しかし、私は前回紹介した1992年度石原ゼミ生(個人名略…14名の若者たち)が、縁もゆかりもない地域で古老たちの積極的な協力を得ながらではあったが、調査の一部の戦没者名簿作成を2か月で完成できた。その実績(当然、確認・報告書作成作業は除いて)があったので、沖縄県全域で一斉に調査をすれば、その実現の可能性を確信していた。県の総責任者であった高山知事公室長によると全県で5千人のボランティアが一斉にその調査を執り行ったという。たとえば、名護市を例にあげると、5地区に55集落あり、それぞれの55人の区長が調査協力者の中心になり、戦没者名簿作成と確認作業を行っている。
■県議会で反対も
2019年9月5日、「平和の礎の建設の趣旨や基本理念を踏まえ、平和の礎の場から平和の尊さと戦争の悲惨さを国内外に発信することを目的」として、「平和の礎の発信力を高め」「平和の礎を後世に語る後継者の育成」などに関する事業を行う沖縄「平和の礎の会」が結成あれた。会長は高山朝光、副会長は新垣義三、大浜進、松本淳、波平剛、事務局長は比嘉博の諸氏で、最も平和の礎建設で苦労した県庁OBのみなさんである。わたしも顧問の一人としてその会に名を連ねている。
平和の礎創設25周年を目前にして、現県政に平和の礎の記念事業を提案してきたが、新型コロナウイルス禍によってその計画は中断してしまった。その会議のなかで平和の礎建設推進にあたって幾多の困難な場面に直面していたという事実を初めて知った。まずは建設予算が10億円もかかるため、県議会で野党議員から猛烈な反対があったという。
しかし、県全域で戦没者名簿作成が進んでいく中では、沖縄社会全体が半世紀前の凄惨な地上戦闘を思い起こすことになった。しかも、一家全滅の家族名など、お互いの関係者で掘り起こす中で、当然、それぞれの地域ごとにあの忌まわしい戦場体験を語り合う場面が各地で出現していった。意図せざる結果として、単なる戦没者名簿作成の域を超え、沖縄全域が沖縄戦を語り合う場と化したのである。もはや、議会で反対する議員はいなくなり、逆に、この平和の礎建設を大いに賛同し喜んでくれたという。
■米朝の犠牲者調査
沖縄戦で死没したすべての人を刻銘するということで戦死した米兵の名簿を入手するため、大田昌秀知事、高山朝光知事公室長、仲地政夫件嘱託3名が米国国防総省に要請へ赴いた。そこでは思いがけない障害が待ち受けていた。まず、日本軍の真珠湾攻撃に端を発したアジア太平洋戦争で、米兵の戦死者というのはアジア太平洋域での戦死者として記録されていた。その中から沖縄戦での戦死者名簿を抜き出さねばならなかった。しかも、海軍、海兵隊、陸軍にその名簿が分かれていて、陸軍の退役軍人省はより正確な名簿を提供しようと時間を要した。だが、仲地氏の元国連広報部長として交渉力を生かしてもらい、除幕に間に合わせることができた。その間、比嘉博さんはコンピューター会社にすべての名簿を管理処理する作業の指示に苦心しながら、米軍兵士1万4005人を抽出させた。その結果、日本軍兵士同様、米軍兵士もすべて官位をなくし、一個人としてアルファベット順に母語で刻銘することができた。
さらに、朝鮮半島から強制連行されてきた犠牲者の刻銘も難渋していた。日本の朝鮮浸出の結果、戦後半島が北緯38度線で民族分断され、北と南で朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国という国名がついた。それで刻銘対象者の調査も難航したが、刻銘板ではすべて朝鮮と刻銘すべきという主張をめぐり、両国の意見が分かれた。最終的には、国連加盟国名に依拠することで決着をみた。
- 以上、引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P134~P135
次回、「平和の礎(6)名簿確認 壮大な作業/誤記防止へ全員新聞掲載」に続く。


コメント