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 「沖縄県平和祈念資料館」

  • 執筆者の写真: 世界版「平和の礎」事務局
    世界版「平和の礎」事務局
  • 2025年4月16日
  • 読了時間: 5分

更新日:2025年7月23日

本記事は、石原昌家先生(沖縄国際大学名誉教授/NPO法人世界版「平和の礎」を提案する会・共同理事長)の著書「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」からの引用を元に、『沖縄戦体験を「常識を疑う」社会学的視点で解く』をテーマにお届けします。





 

 「平和の礎」の「礎」のうえに築かれるべき「平和」とは…

 

「平和の礎」のある沖縄平和祈念公園には「沖縄県平和祈念資料館」がある。開館当時のことについて触れた内容が以下の記事である。


- 引用元「石原昌家著「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」P46~P47」-


 沖縄県立平和祈念資料館が、1975年6月11日、開館した。即刻、その展示内容と展示の仕方が大問題になった。それは、靖国神社遊就館が軍隊の兵器展示している視点と同じだという批判だった。沖縄県史で沖縄戦の住民の記録が出版されたばかりで、県民は沖縄戦被害の全体像を把握しつつあるときだった。県立平和祈念資料館に沖縄県史の記録がなんら反映されていないではないかということだった。幸い聞く耳を持っている県政の下で、展示改善委員会ができた。具体的展示改善作業は、「沖縄戦を考える会」準備会を母体に「展示計画委員会」がその作業を担った。筆者も1977年からそのメンバーに加わった。


 ■開館

 『琉球新報』の6月10日(朝刊)には、「戦争の悲惨後世に/平和祈念資料館あすオープン」という見出しの記事が紹介されている。新聞の写真で一目瞭然だが、まず目につくのは、正面に飾られた大きな日の丸の寄せ書きである。そして左手には銃器類が麗々しく飾られている。いまにも実弾発射れるような銃もあると、銃に詳しい人は心配していた。

 『沖縄県史』の沖縄戦記録1、2、『那覇市史』戦時記録が発刊され、住民の悲惨な体験が、県民の間に共有されはじめているときだった。

 (中略)


 ■意見書

 その後の経緯については、1999年8月から10月にかけての「資料館改ざん事件」の詳細をまとめた『争点・沖縄戦の記憶』(石原昌家・大城将保・保坂廣志・松永勝利著、社会評論社、2002年3月)の「沖縄戦はどう展示されたか」(大城将保)が詳しい。

 『沖縄県史』や『那覇市史』の執筆・編集に携わってきている研究者グループが、これまでの調査記録に照らして、展示の仕方にショックを受けた。自らの聞き取り内容とは正反対の皇軍賛美ともいえる内容だったからである。そこで「沖縄戦を考える会」の「準備会」が中心になって、県知事、県議会議長に展示改善を要望した「意見書」を提出することになった。それは1975年6月20日だった(大城将保氏記録)ので、開館9日目という素早い動きは危機感の表れだったといえる。その問題点をつぎのようにまとめている。

 

 『(1)展示資料のほとんどが旧日本軍の銃砲類、戦闘用具、軍人精神を示す遺品類にかぎられ、全体の演出の観点・方法も旧日本軍を祈念し顕彰する傾向をもっている。(2)それに比べて沖縄県民の戦争体験を物語る遺品、資料、解説などはほとんどない。つまり軍人本位・作戦中心の展示になっていて、県民の立場に立った観点を欠き、県民不在の資料展示になっている。・・・(中略)軍国主義復活の逆流が年々強まり、戦争体験の空洞化が意図的に進められ、靖国思想の復権が画策されている今日の時代背景を考えれば、現在の資料館はまさに靖国神社の沖縄版といった役割を果たし、県民感情と反戦平和の理念に対立する危険なものとなるおそれがある』


■展示計画委員会

 この「意見書」を受けた沖縄教職員会の会長だった屋良朝苗知事は、聞く耳をもっていた。すぐに、「学識経験者」からの意見聴取をして、開館したばかりの展示内容を全面的に改めることになった。(以下略)

 

 

- 引用ここまで-




 

 なお、ウィキペディアの「沖縄県平和祈念資料館」の「旧県立資料館」には以下のように記されている。

 

 -引用ここから-(引用元:ウィキペディア

 

  旧県立資料館

  開館当時は、靖国神社奉賛会の支部である、沖縄県戦没者慰霊奉賛会(現:沖縄県平和祈念財団)が開館させたので、遊就館の様に旧帝国陸軍の牛島満中将の遺影や辞 世の歌などが続き、日章旗や、拳銃や銃剣等の武器類、鉄兜や水筒や薬品ビンといった軍用品等遺品の宝物館と変わらなかった。これについて、遺骨収集と時に発見され た遺品を奉賛会に寄贈した物を展示したに過ぎないので、沖縄戦の伝承について基本構想や理念は何もなかった[4]。この事を契機に、沖縄戦の研究者たちは「沖縄戦を 考える会」(準備会)を結成し、1975年6月20日付けで屋良朝苗知事と沖縄県議会に対し展示内容の問題点を指摘し、展示改善を求める意見書を提出した。1978年10月、 リニューアル開館され、開館当時から180度違う沖縄の反戦平和運動の主張である、沖縄戦で旧帝国陸軍による県民虐殺の内容などが盛り込まれる様になった。また、特 徴として、沖縄戦は激しい地上戦で文書の記録が残っていなかったので、当時の住民の証言を多角的に集めた物を展示に反映している。

 

 -引用ここまで-

 

 1975年、日本復帰記念事業として沖縄国際海洋博覧会(海洋博公園)が開幕、それにあわせた形での開館だった。

 平和祈念資料館が開館した当時、多くの県民にとっては、突如、摩文仁平和公園に2階建ての建物が建ったという印象だった。

 1991年、大田昌秀県知事時代を経て、2000年3月15日に旧資料館は閉館された。

 また新しく建てられた資料館は沖縄の伝統的な民家集落の様な小さな赤瓦屋根の集まりを感じさせるような設計がされている。



 

 

 

 以上、記事をお読みいただきありがとうございました。 事務局K

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