沖縄を平和の発信地に――沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い2025 in 名護市オーシッタイ集落
- sekaibanheiwanoish
- 6月21日
- 読了時間: 4分
こんにちは。世界版「平和の礎」を提案する会です。
6月1日に当法人の事務所があるオーシッタイ集落で『沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い』が開催されました。
『沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い』は6月1日~6月23日の間、「平和の礎」に刻まれている沖縄戦をはじめとする戦争で亡くなられた24万人余りの方々の名前を一つひとつ読み上げる集いです。
ZOOMで接続した沖縄・日本・世界各地の参加者らで読み上げリレーを行います。読み上げは毎日オンライン中継(Youtubeライブ)もされています。
2022年から始まり今年で4回目の開催となり、読み上げる参加者は年々増えており、昨年度は5000人を超えました。
JICA沖縄、沖縄県、沖縄県教育委員会のほか、個人、団体、学校などの教育機関、県内の新聞・メディア各社、県酒造組合、各泡盛酒造所、さらには長野市にある松代大本営地下壕も会場の一つとなるなど、昨年度を上回る広がりをみせています。
地元オーシッタイ集落での開催にあたり、当法人の共同代表の平良が参加申し込みを行い、隣集落の東村有銘区の方達も交え、計14名での読み上げ参加となりました。(読み上げることが難しい参加者が子供含め3名)

今年の読み上げ名簿は東村有銘区の118名と和歌山県出身の416名の戦没者の方々達だった。(事前に主催者側から名簿が送られてくる)
名簿には名前の横に戦没時の年齢や亡くなられた場所などが記載されている。(県外出身者の名簿には年齢の記載がないものもありました)
沖縄戦では多くの民間人が戦火に巻き込まれた。幼い子供、生まれたての赤ん坊も名簿に散見される。県民の4人に1人が亡くなったことを考えると、家族・親戚の中で誰かが犠牲になっていても不思議ではない。自分の子供と同い年の名前を見つけるといたたまれない気持ちになる。親を亡くした子、子を亡くした親、親族、友人、仲間、ご年配…沖縄社会全体が辛い経験を負った事が名簿からも想像に容易い。
参加者達で順番に戦没者に思いを馳せ、読み上げる。
誰かが名前を読み上げることで、確かにその人がこの世に存在したことを証明しているように感じる。偉大な功績を残さずとも、どこの生まれであろうとも、子供でも大人でも。命は等しく平等に― である。
今回の集いでのホットトピックは隣集落から参加した80代のオジイでした。三線と自作の楽譜を持参し、戦争の悲惨さ、平和の尊さを願うオリジナル節を準備して臨まれた。
オジイはヤンバルの山で夜な夜な作詞・作曲を続け、三線を抱きながら寝て、起きたらまた畑にいく日々を何十年も過ごしてきたそうです。
戦争の悲惨さと戦争がない日常の暮らしを綴ったオリジナル節は、創ったはいいが、いつも最後まで謳いあげる事ができなかった。
独りで演奏していると色んな事を想い出してきて泣けてしまうからだそうだ。
今回、読み上げる集いで時間に余裕が出来たため、初披露、最後まで謳いあげる事が叶った。少し恥ずかしそうだったが、ほかにも聞かせたい伝えたい曲があると熱く語ってくれた。このオリジナル節は追って紹介したいと思っています。沖縄方言の歌詞に解説を載せて。
「命(ぬち)どぅ宝(たから)=命こそ宝」
沖縄の「平和の礎」は沖縄のアイデンティティの象徴だと思います。敵味方を一緒に刻銘することは遺族感情やイデオロギーなど様々な問題で難しいとされる中、沖縄県はそれを成し遂げました。このような戦争慰霊碑は世界に類を見ないことだそうです。
争いを好まず、他国(日本・中国)との交易・文化交流を大切にする。
沖縄戦を経て今日まで、沖縄では平和の大切を訴える活動が一貫して行われてきました。
沖縄が世界に誇る慰霊記念碑「平和の礎」と「名前を読み上げる」という新しい実践的な取り組みは車の両輪のごとく相互作用し、動きだしています。見事であり大変嬉しく思います。
日常の忙しさから一旦身を置いて、慰霊の気持ちを込めて戦没者の名前を一人ひとり読み上げる集い。これからも出来る限り参加していきたいと思います。
ありがとうございました。
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