「国家主権の無制限性」について…続・週刊金曜日NO.1526の補足
- sekaibanheiwanoish
- 12 分前
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週刊金曜日の記事において、平良良昭に関して「…国家主権の無制限性を否定する信念を持つようになった。」とある。この記述を補足しておきたい。
国家主権の「無制限性」という概念を私・平良は、1945年(沖縄戦の真最中)に『平和の解剖』を著したエメリー・リーブスから学んだ。彼は次のように述べている。
・・・人類の歴史において知られたる闘争の真の原因はただの一つであって、一見、無数の如く 見える原因も、要するに次にかかげる二つの観察に帰する。
一、 社会を構成する団体―種族、王朝、教会、都市、民族―が無制限の主権
を行使するならば、これらの団体の間には戦争が勃発する。
二、 これら社会単位間の戦争は、その主権がより大なるあるいはより高い単
位に移される時に終わる。
従ってすべての戦争につき次のような定義を下すことができる。
戦争は平等な主権をもち、一つに結合されない社会単位が相接触すれば、場所と
時を問わず起こるものである。・・・・
(『平和の解剖』P132,エメリーリーブス著、稲垣守克訳、毎日新聞社刊)
リーブスはこの認識を基に、「世界連邦」を構想し、アインシュタインや湯川秀樹、トーマス・マンら多数の知名氏がこれに賛同し、「世界連邦運動」を大きく広げた。世界で、日本で、沖縄でも(1953年、世界連邦琉球同盟結成、石原昌家「沈黙に向き合う」所収)、このリーブスの認識する歴史経験法則は日本の戦国時代の勃発と終息、沖縄の三山分立と統一のプロセスの中にもはっきりと見ることができる。
さて、今日の「主権体」は主に「国家」であろう。(いわゆる「武装勢力」も準主権体といえよう。また、「NATO」も、かつての「ワルシャワ条約機構」も盟主が束ねる「主権体」であろう。)
地球は、世界は、未だ「結合されざる独立主権体が分立し、群生している」状態にある。「地球規模の戦国時代はまだ終息していない」と言えよう。広島・長崎型原爆の何十倍、何百倍、何千倍もの威力を持つ核兵器一万発近くが発射スタンバイ状態にあるという。第一次大戦以来の戦争の犠牲者は各国戦没者の最大推定数の積算で1億1千万人を超え、日々増え続けている。国々は、互いに安全保障と称して軍備競争に狂奔し、脅威を与え合い、危機的現実を拡大再生産している。この世界構造こそ、戦争、民主主義破壊、ファシズムの構造的原因であろう。
この現状を超えて、「世界市民の平和的生存権と諸国家の多様性と安全を保障する共同主権体としての世界連邦、または大進化した国連」=「持続可能な平和を創る世界的政治システム」を創設することはいかにして可能か。そのシステムの「礎」とは何か。世界市民にとって共同のスタートラインはどこにあるのか。
わたしはそれを「沖縄の平和の礎をモデルにした世界版の平和の礎の世界的共同作業による創設」とイメージし提案している。沖縄の平和の礎の創設は三つの条件が揃うことで成し遂げられたと思う。
①戦争惨害を繰り返すまいとする政治家の強いリーダーシップ
②戦没者の名前を記録する戦没者遺族を中心とした広範な市民の共同作業
③保守革新という政治的立場を超えさせた強い追悼意識。
この三つであろう。
沖縄ではできたが日本でも世界でもできない、なんてことはあり得ないと思う。敵味方・国籍・軍人民間人を問わず、すべての沖縄戦戦没者の名前を刻んだ平和の礎は世界史的意義を有する唯一無二の戦争メモリアル施設だ。その世界版こそ「持続可能な世界平和」=「恒久平和」の「礎」。世界平和のためのたくさんある必要条件の最後から二番目の必要条件。最後の必要条件は「世界連邦、または大進化した国連」。そう考えている。
もうひとつ、付け加えたい。人類は戦争ばかりをしてきたのではない。平和構築のたゆまざる努力も続けてきた。その成果がEUやASEAN、国連などの連合体だ。「連合」を構想したのは哲学者カントだ。ただ、カントが『永遠平和のために』を著し、「連合」を提唱したのは1795年。カントは第一次大戦も第二次大戦も核兵器時代もAI時代も地球温暖化時代も体験していない。この時代の切実さに直面していないのではないか。つまり「連合」から「統合」への限りない接近を要請されているこの時代への切実な認識を欠いてはいない?・・・というのがカント構想に留まることへの私の違和感だ。国連は「連合体」から「恒久平和の構築と地球規模問題に対処できる共同主権体」へと構造的機能的に進化しなければならない、と思う。そのための「礎」が世界版「平和の礎」。それはまだない。故に創設するしかない。ゆえに提案している。ご支援、ご協力をお願いしています。
平良 良昭
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