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メディア掲載 週刊金曜日NO.1526(2025/6/27)号

  • 執筆者の写真: 世界版「平和の礎」事務局
    世界版「平和の礎」事務局
  • 2025年7月9日
  • 読了時間: 6分

更新日:2025年7月23日

 世界版「平和の礎」を提案する会が「週刊金曜日NO.1526(2025/6/27)号」の記事内にて紹介されました。

 本誌本号では、戦禍の記憶を風化させないため、沖縄戦の実相を直視する「戦後80年、沖縄の記憶を継ぐ」と題した特集が2週にわたり組まれています。


 記事のタイトルは「辺野古抗議、金武湾闘争、ベトナム反戦… 加虐の拠点に抗う反基地運動の系譜」。

 執筆は社会運動史を研究する上原こずえさん(東京外国大学大学院総合国際研究院准教授)。

 日本国内の米軍専用施設の約7割が集中し、戦争の矢面に立たされ続けた沖縄の平和運動の現在地と展望についての報告、となっています。



以下、引用、一部抜粋---


 かつて金武湾に闘いのバトンを渡した宮城島は現在、辺野古沖埋め立てのための土砂採掘現場となっている。毎日狭い農道を往来する200台超えの車両の重量で農道は損壊し、鉱山の土砂崩れで赤土汚濁水を流出させ海も汚している。なぜ自分達の土地が戦争のために破壊され傷つけられなければならないのか。当然の疑問を抱く人たちは、地域の自然や労働力が戦争に動員されることを拒み続けている。沖縄の反基地運における反戦意識は「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓から受け継がれ、米軍が沖縄を空爆という国家テロの拠点として利用したベトナム戦争時にいっそう強化された。

 今の日本では、米国が虐殺を繰り返してきた戦場とその戦争機会の拠点となってきた在日米軍基地のつながりが不可視化されている。在外米軍基地のうち基地面積と兵力の数で2位のドイツ、3位の韓国を凌駕する日本は米軍への世界最大の支援者だ。ガザでパレスチナ人を虐殺しているイスラエルに武器供与し、経済支援しているのはアメリカである。つまり、その軍隊に基地をていきょうし演習場を提供することで、日本はイスラエルによる人道に対する罪に確実に共犯している。

 したがって、現在の状況を鑑みると、映画『骨を掘る男』が提起する本質的な問い(会ったことのない他社の死を悼むことができるのか?)は、「会ったことのない他者への加虐に抗うことができるのか」と言い換えることができるのではないだろうか。映画では、具志堅の粘り強い遺骨収集作業に重ねて、平和祈念公園内の「平和の礎」に刻銘された24万人余りの民間人、軍人を含む犠牲者の名を読み上げ、戦争犠牲者の命を考えようとする「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」の映像が撮られている。この試みは沖縄各地、全国、そして世界へと拡がっている。

 そして、最近結成されたのが、「世界版『平和の礎』を提案する会」である。NPO登録されたばかりの同団体は、沖縄県の「平和の礎」刻銘検討委員会座長を務めた沖縄戦研究者の石原昌家、米軍泡消火剤廃棄を原因とする深刻な水汚染を告発してきた宜野湾ちゅら水会の町田直美、名護市の山奥で農業を営む平良良昭が共同理事長を務める。沖縄の「平和の礎」をモデルに、第1次世界大戦から推定1億1000万人を超える戦争犠牲者の名前を、全世界の戦没者遺族、市民、自治体、国家、国連の共同作業でインターネット上に記録・刻銘・追悼することで、恒久平和の時代を創る「礎」にしていこうと提案している。

 

 この世界版「平和の礎」を10年にわたって構想してきた平良はかつて、金武湾を守る会の運動で石油備蓄基地の建設と海の埋め立てに抗い、「海と大地と共同の力で生存権を斗い(たたかい)とれ」とのスローガンを掲げた人々の一人でもあった。米軍占領下で「国内留学」した三重大学時代からベトナム反戦運動に参加し、コザ暴動の衝撃で沖縄に戻り、県の農業普及員として仕事を始めた与那城村(現・うるま市)で沸き起った金武湾闘争に没頭した。石油備蓄基地の建設が強行されたあと、平良は名護市源河に移住し農場を拓き、白保の空港建設反対運動にも関わった。彼は今も現地で農業を営んでいる。生きる場である海が潰されることに抗った経験と、「生存権」という理念の探求を通して、沖縄・世界の民衆の「平和的生存権」を踏みにじっている国家主権の無制限性を、戦争の構造的原因として否定する信念を持つようになった。国家が自らの権利を際限なく主張する時、自然を征服し他者を傷つけ、他国を破壊する暴力が発動される。これを制限できなければ人類は戦争の時代から脱出することはできない、と平良は語る。

 イスラエルによるガザへの無制限の暴力の発動が、米国の後ろ盾で可能になっている中、米軍基地の最大拠点地を提供している日本に住む私たちは、いかにして「会ったことのない他者への加虐に抗う」ことができるのか。この記事を書き始めた6月に支援物資を載せた非武装マドリーン号がシチリアからガザに向けて航海をはじめ、船上の12人の活動家がイスラエル軍に拿捕され、今度はチュニジアから「ガザへのグローバル・マーチ」が始まった。骨を掘る、追悼の抗議の声を上げる、行進する、座り込む。できることはたくさんある。大事なのは、自らの足元と日常を、砲撃の嵐が吹き荒れる戦場に接続する反戦・反権力の言葉と行動に変えていくことだ。

 

 

以上、引用ここまで---


 半世紀に及ぶ闘いの歴史…私が沖縄に移住して生身で経験したのは2010年代。沖縄は島ぐるみで一丸となり米軍基地の県外・国外移転を訴え、国の方針に抗った。

 複雑かつ多岐にわたるその詳細についてはここでは割愛します。

 いま、それを経て2020年代の平和運動があります。真に平和を願う人たちは変わらず考え、行動しています。


 「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」はその意義や想いに多くの市民の共感を呼び「次世代」、「世界」へと新しい拡がりをみせている。

 この運動にはかつての怒りや憤りは見られない。亡くなった方を悼むという人間のもつ普遍的な心が人々を繋いでいるのだと思う。当団体もサポート・協力を続けていく。

 世界版「平和の礎」を考える会は2013年に発足し、3回のシンポジウムで学生の皆さん、大田元知事、戦争体験者の方々らとの交流・ディスカッションを通し、沖縄戦、平和、継承、平和の礎について学習を続けた。(詳細は「世界平和の礎を考える会2015年年次レポート」)

 2023年には沖縄県知事に対し、沖縄から世界へ「平和」を発信する後押しをする形で、世界版「平和の礎」に関する提案と要請を提出した。

 その後、当団体の活動における多数の事務的課題を実践するため、社会的信用を確保し、サポート会員を増やし、会費と寄付を得て、財政的裏付けを確保するため、NPO法人設立を決議。足掛け1年かけて2025年1月にNPO法人発足となった。

 2025年6月には複数言語に対応した「平和の礎刻銘者インターネット検索システム」が沖縄県 知事公室 平和・地域外交推進課からリリースされた。以前より、当団体が県に対して要請してきた、平和の礎のグローバル化について少し前進したように思う。本年度は引き続き、沖縄県内をはじめ、順次、全国の自治体の首長に対して世界版「平和の礎」に関する提案と要請をして参ります。


事務局K

 
 
 

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