メディア掲載(毎日新聞2025年(令和7年)10月22日(水)夕刊)
- 世界版「平和の礎」事務局

- 2025年11月19日
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こんにちは。世界版平和の礎を提案する会、事務局です。毎日新聞2025年(令和7年)10月22日(水)夕刊「沖縄 交差するまなざし」にて当会の共同理事長三者がリレー書簡という形でそれぞれの想いを語りました。
以下、掲載紙面の画像と文字起こしをしました。


(以下、文字起こし)
戦後30年は、沖縄にとって、「平和の礎」建立から30年の節目に当たる。沖縄戦の戦没者らの名を刻んだ「礎」は、米軍の従軍記者が「ありったけの地獄を一カ所に集めた」と呼んだ沖縄を平和発信の拠点にと誓う「理念の場」でもある。生者と死者が通わす魂のざわめきの意味を聴き取り、世界に「礎」づくりを呼びかけようと今年設立されたNPO法人世界版「平和の礎」を提案する会(沖縄県名護市)が近く、国連事務総長などに構想への理解を求める要望書を出す。会の3人の共同理事長に、その胸の内を手紙のリレーで語ってもらった。【客員編集委員(沖縄在住)・藤原健】
石原昌家さんから平良良昭さんへ
平良さんから世界版「平和の礎」の構想を聞かされた時、私には思いつかない、とてつもない壮大な考えは、どこから生まれてきたのだろうかと思いました。
沖縄の否戦の思想を表わす「平和の礎」は、アジア太平洋戦争の帰結点となった沖縄戦での死没者の名前を刻銘してあるが、平良さんの構想は、第一次世界大戦以後の戦争・紛争での全死没者名を刻銘するのだ、とのことでしたね。私がその話を聞いた時、すぐにひらめいたのは、比嘉静観牧師(1887〜1985年)が提言した「無戦世界」でした。
沖縄出身の比嘉牧師が、ハワイで布教活動中、第一次世界大戦の惨状を知り、戦争の無い世界、「無戦世界」の実現こそが地球に平和をもたらすと唱えていたのです(注1)。平良さんの第一次世界大戦以後の戦争死没者の刻銘という構想は、「無戦世界」の提唱に連動していると、直感したのです。それは、第二次世界大戦後、具体的に提唱されている「世界連邦運動」(注2)とも連動していますね。
1945年の沖縄戦は、「ありったけの地獄を一カ所に集めた戦闘」とも称される惨状で、二度とそのような惨禍を被らないように、戦場から生還した人たちが53年12月、「世界連邦建設琉球同盟」を官民あげて結成したのは、沖縄の「命どう宝」思想を具現した行動だといえますよね。
平良さんが「世界連邦」運動にもいち早く着眼していたことは、沖縄の先人たちの平和の思いを体現している人だと思えます。さらに、「すべての武器を楽器に」と、世界各地で演奏活動をしている喜納昌吉さんたちは、世界連邦運動の理念を、音楽を通して具体的行動につなげています。両者の思いは一体化しています。
平良さんが世界版「平和の礎」を提案するにあたり、沖縄の「平和の礎」について共通に認識しておきたいことを、刻銘検討委員会座長を務めてきた立場で確認しておきますね。
全戦没者の名前を刻銘するにあたり、沖縄の空、海、陸が戦場と化したので、そこでの全死没者の名前を刻銘することによって、これが沖縄戦の戦場だ、と表現していることです。したがって、敵味方、加害・被害者を区別する発想は全くありませんでした。
いしはら・まさいえ
1941年、台湾宜蘭市生まれ、那覇市首里出身。沖縄国際大学名誉教授。「平和の礎」建立時、刻銘検討委員会座長を務めた。沖縄の県市町村史の編さんに携わり、著書に『国家に捏造(ねつぞう)される沖縄戦体験』など多数。
(注1:比嘉静観牧師の「無戦世界」思想について)比屋根照夫・琉球大学名誉教授は、比嘉牧師の研究から「近代沖縄における平和思想の潮流は、『非戦』、『反戦』、『無戦』という時系列的な展開の構図が描かれ、(比嘉牧師のいう)『無戦』こそが平和思想の最終的な到達点だと明言」(石原昌家著『Basic沖縄戦 沈黙に向き合う』)した。
(注2:世界連邦運動の日本における展開)
戦争廃絶のため第二の国連とも称される世界連邦を目指す運動は、日本でも1949年12月、超党派で世界連邦日本国会委員会を結成して活動を開始した。この委員会が母体となり、2005年8月に衆議院で、2016年5月に参議院で、憲法の平和理念のもと、核廃絶などを掲げ「政府は世界連邦実現への道の探求に努め、平和な未来を確実にするための最大限の努力をすべきである」と全会一致で決議している。
平良さんから町田直美さんへ
私たちが提案している世界版「平和の礎」のイメージはどこから生まれてきたのかとたまに問われます。そのイメージの第一の源泉は、沖縄の「平和の礎」です。「平和の礎」を学ぶにつれ、その世界史的意義を強く感じました。その方式と理念は世界史に唯一無二です。
また、自分の人生の歩みと学びがそのイメージを生み出す土壌となっています。生後4カ月で10・10空襲を体験、母と共に機銃掃射を受けました。20代で「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)に参加。ベトナム戦争に反対し「殺すな」と叫びました。現在、ウクライナ、ガザの惨状に世界の若者たちが立ち上がり行動しています。当時の私も行動することで人間であろうとしたのです。
30代には金武湾の石油備蓄基地に反対する闘争で「海と大地と共同の力で生存権を!」と学びました。50代の時、摩文仁で戦没した母の妹、パラオで戦死した祖父が「礎」に刻銘され、「礎」に直接の縁ができました。
60代で、世界連邦運動と、アインシュタインらが絶賛したエメリー・リーブス著『平和の解剖』に出合いました。そこでは「ばらばらの独立主権国家の衝突、無法・無制限の主権行使すなわち戦争」「それらの国家が互いをひとつにする連邦を創設した時、その地域限定で戦争が廃絶され、持続可能な平和が生まれる」「ただ、地球規模での世界連邦はまだない、ゆえに世界はいまだ戦国時代状況」と学びました。世界連邦を戦争と核兵器の廃絶、恒久平和への希望の光と認識しました。
ただ、「希望の光」とはいえ、世界連邦運動は我々地球市民のなかに十分には根を下ろしていないようだ、その原因は世界版「平和の礎」がまだないからだと直感しました。第一次大戦以来の全世界の戦没者1億1000万人の名前が世界的共同作業でネット上に記録される時、世界連邦に地球市民の心が入り、基礎が固まると思われます。
町田さんたちの集いは日本へ世界へと広がり始めています。世界版「平和の礎」の提案がそれと連動する時、展望は開けるでしょう。頑張りましょう。
たいら・よしあき
1944年、沖縄県読谷山村(現・読谷村)生まれ。首里高、三重大農学部卒業。名護市で養蜂業。2012年、「世界平和の礎を考える会」を提唱し、2025年にNPO法人世界版「平和の礎」を提案する会の結成に尽力。
町田さんから「礎」の3世、4世へ
私は高校生の時、「生物」の授業で初めて“命をつなぐために生きる”ということを学びました。
それまでの私は「人の役に立つ生き方をすること」が大切だと漠然と思っていましたが、先生の「生物は命をつなぐために生きている」という言葉に、命の原点と生きることの強い意味を感じました。
その「命をつなぐこと」を断ち切るのが戦争です。つないだ命を断ち切ってはいけない、断ち切られた命ともう一度つながりたい――そんな思いから、石原昌家先生を中心に沖縄県の全戸調査を経て戦没者の名前が刻まれた沖縄の「平和の礎」は建立されました。戦後50年の節目の年でした。
今から4年前、私は摩文仁の丘でこの礎をただ眺めるだけではいけない、つないでいかなければと考えました。礎に刻まれた24万人の名前を読み上げ、沖縄から世界へ平和を発信しよう、命をつなげなかった人々の心を、名前を読むことでつなげたい。
「名前を読んで何になるの?」という声がありました。そんな中で、世界版「平和の礎」を提唱する平良良昭さんと出会い、「車の両輪で進もう」と語り合ったことが大きな励みになりました。
振り仮名をつけた名簿を読み上げるのですが、「間違って読んだら失礼では」と不安の声もありました。しかし、石原先生の「間違ってもいい。心を込めて読むことが大切」という言葉が、私たちの背中を押してくれました。読み上げると、戦争は名前も破壊することが実感できます。
世界版「平和の礎」を提案する会は法人化され、平良さん、石原先生、町田の3人が共同理事長となりました。「車の両輪」は「三輪車」となり、世界連邦運動ともつながりながら、平和への道をこいでいます。
読み上げに参加してくれた高校生ら若い世代が「自分たちに命をつないでくれてありがとう」と感想を話してくれます。戦没して名前が刻まれた人や、生きて命をつないでくれた人は、「礎1世」です。その胸の内を感じ、聞いて受け継いだ私たち「礎2世」は、次に命をつなぐバトンを「礎3世」に託します。
若い皆さん、どうかそのバトンをしっかり受け取り、命を、そして平和を、さらに「礎4世」に一緒につないでいきましょう!
読み上げ運動を始めた2022年の参加者は、1549人でした。それが、わずか3年後の今年は5810人にもなりました。北海道から九州までの国内だけでなく、米国、中南米、ヨーロッパ各国にも広がっています。今年は、広島、長崎で始まった被爆者名の読み上げ運動を現地で手伝いました。
次々と命を確実につなげることが人間の使命なのです。平和は、つながることから始まります。
まちだ・なおみ
1956年、沖縄県与那原町生まれ。米軍普天間飛行場近くでオーガニックレストランを経営。「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」の実行委員会代表。
「戦争の世紀」「難民の世紀」であった20世紀と同じ道を21世紀が歩んでいいはずがない。今回のNPO法人世界版「平和の礎」を提案する会の構想は壮大であり、実現までに相当の時間と詰めた論議を要するであろう。しかし、「だから、やらない」ことにはならないはずだ。「だから、やってみよう」と動くことから「無戦世界」が見えるのではないか。
手紙リレーの総監修をお願いした石原さんは「礎」の意味を、こう説いた。


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