「第一回広島原爆死没者のお名前を読み上げる集い」2025年8月6日@原爆供養塔前
- 世界版「平和の礎」事務局
- 8月6日
- 読了時間: 4分
更新日:8月13日
広島市の平和記念公園にある原爆供養塔の前で2025年8月6日午前9時過ぎ『「原爆供養塔納骨名簿」を読み上げる集い』が開催されました。

主催は「第一回広島原爆死没者のお名前を読み上げる集い」実行委員会。
発起人の一人、高垣慶太さん(23)は広島市出身。被ばくした2人の曾祖父や当時の人々の経験の聞き取りを基に、核兵器のもたらす悲劇を次の世代に伝えていくことを使命とし、幅広く活動されています。赤十字国際委員会(ICRC)のユース代表として核兵器禁止条約の締約国会議に第一回から参加し、核兵器廃絶を目指して長期的スパンでの取り組みを継続されています。
高垣慶太さんのバックグラウンド、インタビュー記事は以下でご覧いただけます。
(読売新聞:曾祖父2人が被爆者の男性、原爆供養塔前で納骨名簿読み上げ…「一人ひとりに人生あったと思うと切ない」)
(早稲田ウィークリー:被ばく者で医師の曾祖父2人の体験を世界に 国際赤十字ユース代表)
会場には若い世代から被爆世代、広島をはじめ日本各地から40人近くの方達が集まった。
34万人を超す広島の原爆死没者名簿は公開されていません。広島市では氏名等が判明し、遺族が分からない遺骨について、「原爆供養塔納骨名簿」として名簿を公開し、遺族を捜しています。(心あたりがある方はこちらまで(広島市HP))
今回の名前の読み上げでは「原爆供養塔納骨名簿」を読み上げ、遺族が見つかるきっかけになれば、という想いも含まれています。
(「第一回広島原爆死没者のお名前を読み上げる集い」2025年8月6日:Youtubeでのライブ配信アーカイブ)
集いの締めくくりに沖縄から『世界版「平和の礎」を提案する会」共同理事長の町田直美さんが今回の感想を述べられました。
「沖縄から参りました町田です。沖縄の平和の礎名前を読み上げる集いと広島が高垣くんを中心に若者たちに広がったことを本当に非常に喜んでおります。
わたしたちは沖縄にある平和の礎を世界に広げて戦争を止める力にしたいと思って、このパンフレット(世界版平和の礎を提案する会)も一緒に配布しました。皆さん、ご協力ありがとうございました。
今日はじめて広島の原爆の平和祈念公園で原爆で亡くなった方々の黙祷をさせていただきました。一瞬で広島の穏やかな生活が、日常の生活が壊されてしまった。なんともいえない気持ちになりました。沖縄とはまた違った戦争被害に向き合うことになりました。これをまた沖縄の方々にも広島の実態を伝えて、戦争に対する想い、二度と戦争をしてはいけないという想いを広島と沖縄でつよく、つよく結ぶことができたら本当にありがたくおもいます。
みなさん、たくさん来てくださいました。高垣くん、おつかれさまでした。マスコミの方も沢山取材していただきました。こんなに大きく広がったことを本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。」
翌日、7日午前10時半にも『「広島第二県女」の原爆死没者のを名前を読み上げる集い』が開催されます。

沖縄も広島も戦争体験世代が居なくなっていき、戦争・核兵器の悲惨な実態が直接語られることが難しくなってきています。
今後、平和祈念資料館やメディア、映像アーカイブの役割も大変重要になると思います。
しかし、名簿には歴史の教科書には乗らないひとり一人の人生の断片が垣間見れます。氏名や年齢、住所など自分と照らし合わす対象があれば、それはよりリアルに感じます。たった80年前の出来事で、世界では今なお戦争が頻発している状況です。
わたしたちは戦争・核兵器の悲惨さを後世に伝え、平和の尊さを次世代に繋ぎ、再び戦争をしてはいけないという強い気持ちを持ち続けなければいけません。
広島原爆死没者の方々に黙祷を捧げます。
今回お集まりいただいた皆さん、発起人はじめ関係者の方々、広島の皆さん、沖縄からサポートに行った皆さん、暑い夏日が続く中、本当にご苦労さまでした。今後も日本各地で平和を希求する皆さんと連携し、名前の読み上げを通して、世界の恒久平和への誓いを発信できれば大変うれしく思います。
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